赤城夜神楽
冥丁 瑪瑙巡演
現代における「神楽」と
「失われてもなお残るもの」について
三夜沢赤城神社。山岳信仰から始まったと言われ、赤城山の南麓で古来よりこの土地のあらゆる営みを見守ってきた、神様が「おわします」場所。
その境内でも、宮司をのぞいて足を踏み入れることが許されない、とりわけ特別な場所が「ご神域」だ。約2000年の時間を内包するこの鎮守の杜で、2026年5月16日、一見すると本来であれば起こり得ない──しかし神社という場所の来し方に照らし合わせると、実はきわめて本来的で必然的である、類稀な場が実現した。
ご神域で執り行われたのは、音楽家・冥丁による公演「赤城 夜神楽」。神社という場に流れていた時間のあり方を、あらためてひらく試みでもあった本公演とは、一体何だったのか。この一夜は、混迷を極める現代社会を生きる私たちに、何を問いかけたのか。
音楽に宿る「公共性」
聴こえてくるのは、時折響き渡る鳥の声、あるいは参拝者の節度ある談笑だけだった。
流れていたのは、「ケ」そのものとも言える静かな時間だ。5月にもかかわらず夏日で、街は熱気で覆われていたが、赤城山の麓は涼しく、過ごしやすい気候。まさか今夜、三夜沢赤城神社の悠久の歴史の中でも前代未聞の場が設えられるとは、いつものように訪れる地元の参拝者は露ほども想像できないであろう、穏やかな初夏の一日だった。
そもそも今回の「赤城 夜神楽」は、最新作『瑪瑙』の発売記念巡演の一環として行われたものだ。しかし、それは単なる商慣習としての「レコ発ライブ」にとどまらない。音楽家・冥丁のキャリアにおいて、明確な転換点となる作品であり、巡演だった。
「これまで約15年、音楽と向き合う人生を送ってきましたが、そのほとんどを『作曲』が占めていました。僕にとっては、自室で音楽をつくることだけが、音楽活動だったわけです。
しかし、6年ほど前から、しっかりと舞台に立って演奏をするという機会に、ようやく巡り合うようになりました。すると音楽をするということの意味が、まったく違ったものになっていった。お客さんや現場の空気感が、ひしひしと体に染み込んでくる。自然と、既に発表していた曲も、舞台上でどんどん編曲がなされていくわけです。そうして楽曲がどんどん変化していき、ようやく編曲が一段落したと言える段階になってリリースされたのが『瑪瑙』でした。
頭の中で自分が築き上げてきた内的な感覚が、外的な場面に出たときに、表現として置き換わっていく。それはもはや僕だけの感覚ではない。舞台に立つことによってのみ感じられるエネルギーがあって、そこにはある種の公共性が宿っていると感じるようになりました」(冥丁)
「環境によって息遣いや佇まいを変え、時間の流れとともに革新してきた音。その堆積が本作に刻まれている」──本作『瑪瑙』の作品説明に記された文章だ。アルバムタイトルの由来は、長い時間をかけて層を成し、圧力と沈殿を経て形成される鉱物・瑪瑙の生成過程。そうした空間的・時間的な「公共性」感覚の根底にあるのは、「一人ではできない」というシンプルな認識だ。
「人間が集まっていくことによって生まれるエネルギーがあって、そういったものを表現する一つの場面として、私の音楽活動もそこに参加させていただいているという認識です。より個人的にファンの方に届いていく“僕”というものに対して、もう少し流動的で拡散的な“私”というものがあるとすれば、この『瑪瑙』は“私”による作品だと思っています。自分だけで決めて作ったのではなく、舞台に立ったときに降りてきた直感がどんどん堆積していって、さまざまな印象を帯びた模様になっていった。ある種の宇宙の連なりがそこにあるような感覚があり、これは人生で初めての経験です」(冥丁)
前代未聞の「ご神域での夜神楽」
さまざまな地層が連なる、「公共性」が宿る作品として生み出された『瑪瑙』。私たちの力の及ばぬ自然や存在に対する感謝や祈り──かつて日常の延長線上にあった感覚、いわば他なるものに対する「公共」的な感覚を呼び覚ます場である神社で本作の発売記念巡演が執り行われたのは、先述の本作の背景文脈を踏まえると必然的だったとも言えよう。
そしてこの「赤城 夜神楽」もまた、冥丁ただ一人の意志や力により実現したものではない。「ご神域での演奏」という前代未聞の舞台の実現に向けて尽力したのが、赤城のふもと、前橋に根を張る電気工事会社・株式会社ソウワ・ディライト代表取締役の渡邉辰吾(わたなべ・しんご)だ。
渡邉はかねてより三夜沢赤城神社、そして冥丁とたしかな関係性を紡いできた。2022年3月には、同神社で開催された、日本の文化を再確認しながらカナダのオーロラを鑑賞する催し「赤城 SUN do(サンドゥ)〜ふたつの空と太陽の道〜」にて、参加アーティストとして冥丁を招聘、参道での演奏が行われた。さらに2025年9月には、赤城山山頂の火口湖「小沼」の水位が短期間で大きく低下する異変が確認されたことを受け、状況を広く共有し、今後のあり方を考える契機として奉納演奏「幽愁」を実施。演奏は冥丁が担当し、三夜沢赤城神社にも協力してもらい、現代的な「雨乞い」(儀式)の実践として行った(幽愁|現代における「失われたもの」とその回復への「祈り」について)。そうしたここ数年の文脈を踏まえて実施されたのが、今回の「赤城 夜神楽」だった。
「演奏会やイベントは、主催者や演奏者、参加者が楽しむことが第一義に来るものです。しかし今回はそうではなく、まずは神様や神社への感謝があり、そのうえで我々も喜びを享受するという時間にしたかった。そのために、三夜沢赤城神社での演奏の機会をつくれないかと思ったんです」(渡邉)
ただし渡邉は、当初はまさかご神域で演奏することになるとは思ってもみなかったという。演奏場所としては神楽殿を念頭に置きながら、かねてより懇意にしている同神社の宮司・眞隅田吉行(ますだ・よしゆき)に相談を持ちかけたところ、「(神楽殿は)古来より紡がれてきた歴史の中で神楽を踊るための場所だから」と難色を示された。そこで眞隅田宮司が代案として提示したのが、ご神域だった。
「神楽殿だと、催し物としての性質が強くなってしまうと感じたんです。そうすると、どうしても一過性の催しになってしまう可能性がある。であれば、神楽殿よりもご神域のほうがいいなと。もちろん、ご神域を開放するというのは、並大抵のことではありません。でも渡邉さんとの信頼関係もありますし、自然や神社とも馴染みそうな表現をされる冥丁さんにお任せするのであれば、お貸ししてもいいかなと思ったんです。私たち神社も、変わらないために、変わり続けなければいけませんから」(眞隅田宮司)
こうした渡邉、そして眞隅田宮司の協力により実現した「赤城 夜神楽」。その期待に対して冥丁が心に刻んだのは、「演奏するのみ」というその一点だけだ。
「私は芸事を奉納するという立場にあります。きわめて伝統性が高いと思われているもの、世の中で自明であると捉えられている産業や商業に関わるもの……そういう条件が揃った時に、神楽のような場面で奉納される芸事になると私は捉えています。そういう意味では、音楽にある種の公共性があると解釈していただける時が、ようやく来たのかなと思いました。その際に私ができることというのは、もう無心で演奏するのみという、ただ一点だけでした」(冥丁)
さらに冥丁は、自らの音楽的実践において、この「夜神楽」が節目になるのではないかと予感もしていたという。
「私はこれまで、誰もが生活の中で感じ知りえているはずなのに言葉では言い表せない微かな日本の印象──自明でありながらも幽微な存在として漂う日本──を『失日本』と名づけて、日本を主題とした音楽表現を行ってきました。ただ自分で銘打っておきながら、その意味するところが明確にわかっていなかった部分もあったんです。しかし、この『夜神楽』の前に清水寺で行った奉納演奏で、その意味するところの理解が自分なりに少し深まった感覚があって、さらに今回の夜神楽でいっそう明確化されるであろうという予兆を感じ取っていました」(冥丁)
静寂、
そして御祈祷
そんな予感の中で迎えた、夜神楽の当日。あえて自身による事前視察は行わなかった冥丁は、リハーサルで初めてご神域に足を踏み入れたという。「何が起こるか、本番になってみないとわからない」という緊張感と、「ここでどうやって自分を表現していくか」を内側から確かめる静けさの中で、開演を待つ。
夕方にかけて、少しずつ日が落ちはじめる。神社内の気温は下がり、上着を羽織らないと肌寒いくらいになっていった。
18時、開場。鳥居の前に特別に設えられた篝火の中で薪が爆ぜる音を聴きながら、鳥居を抜け、龍の口から水を出す手水舎でお清めをする。
18時半には、来場者みなで並び、正面に構える拝殿へと移動する。冥丁が現れると、来場者たちの期待感あふれる囁きが一気に止み、静寂が訪れる。そして礼装に身を包んだ眞隅田宮司の導きのもと、御祈祷が行われた。来場者の一人ひとりが、感謝や決意、祈願を心の中で思い浮かべる。冥丁も長い時間をかけて、噛みしめるようにじっくりと祈願していたが、いったい何を想っていたのだろうか。
御祈祷が終わると、観客は一団となって、鎮守の杜へと足を踏み入れていく。ある者は立ったまま、ある者は腰を落ち着ける。やぐらのようにシンプルに組まれたステージに、不思議と森に馴染むキーボードとラップトップを前に、開演を待った。
あたたかくも、孤独な時間。
18時44分、日の入り。かすかに残る日の光の残像と、入口に掲げられた提灯の控えめな灯をのぞいて、刻一刻と闇に包まれてゆく鎮守の杜。ひっそりと、しかし凛とした歩みで冥丁が現れ、舞台に立つ。開演。
悲しげでありながらも優しい琴の音(冥丁によって加工が施されている)、サンプリングされた水や虫の音に、神社の周辺で時折声をあげる鳥たちの叫びが混ざり合う。そびえ立つ無数の杉の木、足元に生い茂る笹の葉、あるいは名もなき草たちに同化しながら、ほとんど夕闇と同化した冥丁が一曲目に奏でたのは、亡き祖母を想いながら生み出した曲「カヲル」だ。
「静まり返った中ではじまった公演でしたが、パッドを叩いて最初の一音を鳴らしたとき、その音が森にどんどん染み渡っていくかのような印象を受けたんです。音の影がじんわりと伸びていくように感じたことを、よく覚えています……とはいえ、結局のところは演奏が始まると、時間の上を歩いているような感覚になるので、『思い返している』と言ったほうが適切かもしれませんが。音がどんどん連なっていき、重なり、森の中に響き渡っていく中で、自分では背負いきれない何かが生まれている手応えがありました」(冥丁)
そうして奏ではじめる中で、気づけば完全に日は落ち、森は深い闇に包まれる。環境の変化の中で、冥丁の感覚も変化していく。
「感覚はもう音楽のほうを向いているので、(明るさの変化は)目視では追いきれていなかったですね。闇が忍び寄ってきているのはわかりましたが、明確に感じられるほど、意識が向いていなかった。最初は僕の立っている舞台からみなさんがいる場所が見えたのですが、気がついたときには、パッと周りが暗くなっているような感覚でした。森の上の隙間から見える夜空は青く、星も明るいけれど、森の中は暗い。そうした情景の対比を感じながら、闇の中で一人演奏している、いま自分がどこに立っているのかわからないという状況に変わっていました。いつしか、自分と向き合う演奏になっていったんです」(冥丁)
その際、冥丁が総体として感じ取っていたのが、「あたたかくも、孤独」という感覚だ。それは「あたたかい孤独な時間が流れているようでした」と手応えを語った、同じく赤城山で催された「幽愁」との連続性をたしかに感じさせる。
「なかなか言葉にはならないのですが、あの場所に立って空気を吸う中で、あたたかでもあり、孤独でもある時間が流れていました。場そのものが柔らかさやあたたかさを帯びている一方で、どうしようもない孤独も感じられる。その時間をみなさんと共有できたのが、今回の夜神楽だったと思います。風が薫っていること、獣たちの声が聴こえること……断片的な、その場その場の一画を、自分の呼吸とともに感じていました」(冥丁)
繰り返される、高揚と鎮静
そうして深く演奏に没入していき、自らの立っている土の感触も曖昧になっていく中で、また別の始まりを予感させる笛の音が鳴り響く。『瑪瑙』の一曲目に収録されている曲「覇王」だ。
ここから高揚と鎮静が、形を変えて何度も繰り返されていった。
「新花魁」「新貞奴」(ともに『瑪瑙』収録曲)と続く中で、冥丁、そして観客たちのボルテージが高まっていく。暗い森に響き渡る轟音の中で、体を揺らす者、揺らさない者。「新貞奴」では、日本初の女優として世界中で活躍した川上貞奴(1871-1946)の魂を蘇らせるかのように、サンプリングされた「japanese people」という囁きが森の中に畳み掛けられる。その熱気の中で、歴史の暗闇に葬り去られた無数の名もなき声が、再びこの場に呼び寄せられたかのような感覚に襲われた。
高まりきった現場の熱量をクールダウンするかのように続けて演奏されたのは、「新和蝋燭」(『瑪瑙』収録曲)。スローテンポでシンプルな音に包まれ、少しずつ平熱に近づいていく中で、楽曲が終わるとふっと静寂が訪れた。
わずかな静けさののち、また少しずつ音が戻ってくる。賑やかな笛の音が、「旧劇」(『瑪瑙』収録曲)の始まりを告げた。「勇ましい行為は、美しく語り伝えられている」「無名のまま、風のように去った」──黒澤明による歴史的名作『七人の侍』からサンプリングされた台詞が、優しげな旋律を背景に、繰り返し、執拗にリフレインされる。それはまさに「勇ましい行為」を果たしながらも、「無名のまま、風のように去った」者たちへの鎮魂歌のようにも聴こえる。そのリフレインの中で、場の熱量は再び高まっていく。ふと右手に目を向けると、渡邉が手がけた《鏡界の鳥居》も、その鎮魂歌に共鳴するかのように光る。
「旧劇」が終わると、再び訪れる鎮静。「幻影」(『古風』収録曲)が始まり、あたたかくも哀しげな音色のピアノ、サンプリングされた女性たちの歌声がたおやかに響き渡る。そしてクライマックスは「新花魁Ⅱ」(『瑪瑙』収録曲)。勇ましい音色と轟音が森を覆い尽くし、冥丁と観客のボルテージは最高潮に達するかと思われたそのとき、楽曲は終わり、すべての音と光が消えた。冥丁が舞台を後にする。パチっ、パチっと、観客が足元の枝を踏みしめる音だけが時折聴こえるのみだ。
長い静寂の後、冥丁は再び舞台へと舞い戻る。波のような風のような、静かなノイズ音とともに浮かび上がる冥丁。そして静かなピアノの音色と、薪の爆ぜる音が繰り返され、アンコール曲として、故郷の広島を想ってつくった曲「廣島」(『古風Ⅲ』収録曲)が始まる。『瑪瑙』冒頭曲の「覇王」と似た旋律の笛の音が、今度は半分ほどのテンポでゆっくりと響き渡る。
そして最後は「少年」(『古風』収録曲)。子どもたちのわらべうたから始まり、優しげなピアノや手拍子の音色を背景に、サンプリングされた「寒くない?」という囁きが繰り返し畳み掛けられる。まるで神社あるいは森が、冥丁や参加者を気遣っているかのようだ。
少しずつ音が消えてゆき、いつしか森で吹き付ける風の音だけが残り、冥丁はラップトップを閉じた。深い礼ののち、退場する。こうして、約90分の「夜神楽」は幕を閉じた。
「幽微」の連続が
「自明」に帰結する
ご神域での演奏という類稀な経験を経て、いま冥丁は何を思うのか。公演の前に感じていた、「『失日本』への理解が明確になるかもしれない」という予感は、的中したのだろうか。
「僕が追い続けてきた『自明でありながらも幽微である』ということが一体どういうものなのか、この夜神楽を通じて、かなり認識が明確になりました。どういうことかというと、音楽の公演は世の中に数多くあり、聴衆のみなさんは音楽を聴きに行くつもりで会場に足を運びますよね。舞台に上がっている演者を見に行くというのも、当然ながら自明なことです。しかし今回は、そうではないことが起きていると感じた方が、多かったのではないでしょうか。そして振り返れば振り返るほど、僕自身も結局は『音楽公演』とされているものをしたかったわけではないのだな、と納得がいきました。
では何を共有したいのかというと、やはり『いかに幽微か』ということだと思ったんです。『自明』と『幽微』は表裏一体であると、最近考えるようになりました。歴史を見るとき、私たちはまず、有名か、著名かという見方をしてしまいがちです。しかし、その周囲には必ず、幽微なる何かがあるはずです。
それはつまるところ、人の持つ想いや気持ちなのだと思います。それこそが幽微なものであり、また何かを自明たらしめてもいるのではないでしょうか。『自明でありながらも幽微である』ということを、もう少し違う言葉で言い換えるならば、『失われてもなお残り続けているもの』ということになるはずです。世代が変わっても残り続けているというのは、一体どういうことなのか。この問いに僕は音楽を通じて向き合い続けてきたのだと思います」(冥丁)
そして、この夜神楽を経て冥丁は、一見すると至極当たり前にも思える、ある認識へとたどり着く。
「人々の気持ちというものが、いかに大切か。いま改めて、原点に戻ってきているような気がします。『気持ちが大事』と言うと、『そりゃそうでしょ』で片付けてしまいたくなるかもしれません。しかし、いま世の中では、自明であることばかりがフォーカスされている。売れるためにはどうするか、人気を稼ぐにはどうするか──それらはすべて、自明であることに置き換えられます。みんな、どう自明であれるかを形式化しようとしている時代だと思うんですね。僕はそれを、ずっと疑問に思ってきたんだということに、ようやく気づきはじめました。
逆に言えば、『自明でありながらも幽微である』ということが、これから僕の導き出したい解なのだとすれば、それを表現するために必要なのは、幽微であることの連続なんです。幽微であることの連続と結集によって、新たな『自明である』ということが生まれるのではないか。それは気が遠くなるような、歴史的な営みなのかもしれません。赤城神社も、2000年という歴史のうえに成り立っている。何代も、その都度その都度、そこにいた人たちの顔があって、いまがある。そうした気持ちの連続、思いの連続をどう表現していくかということです」(冥丁)
冥丁が公演後にInstagramで自ら綴った言葉は、この認識を端的に表現していた。
二千年と続く赤城神社という自明たる存在
ここに立つは私達という幽微たる存在
失われてこそ残る「形」
失われてこそ残る「思い」
私達の誰もがそれを知りながら
私達の誰もが言い表すことができない
「ケ」の延長線上に
「ハレ」が成立する
冥丁が「夜神楽」を経てたどり着いた、「幽微の連続が自明を生む」という認識。奇しくも主催の渡邉も、また別のルートから、近い認識へと至っていた。
「実は今回の公演、ほとんど事前の準備や案内をしなかったんです。当日の来場者のオペレーションも決めていなかったし、駐車場にも誘導員を配置しませんでした。決めていたのは、入り時刻と開始時刻くらいです。賭けてみたかったんですよ、冥丁さんという存在と、赤城神社という存在に。
そして実際にやってみたら、すべてが完璧に運んでいきました。何も演出していないのに、最初は立っていた人たちが、次第に座り込む。然るべきタイミングで、みなさんが静寂に没入する。特に印象的だったのが、その場にいた人たちの後ろ姿が美しいんですよね。すべてが絵になっていて、阿吽の呼吸といいますか。夜神楽が終わったあと、僕はもう一度、日本人というものに期待してもいいなと思いましたね。まだ希望はある、と。
そして、なぜこうした状況が実現したかというと、『ケ』の延長線上でしかないと思います。すべての物事は、『ケ』が積み重なった末に成り立っていると思っているんです。日々積み重ねてきたものの先に、特別なものが存在しているはずです」(渡邉)
日常の積み重ねの末でありながらも、そこにはたしかに非日常が生み出されてもいた──眞隅田宮司はあの夜を振り返って、そこで感じ取った気配について打ち明けてくれた。
「当社のご神域はとても居心地のいい場所なので、いっぱい神様がおられるんです。そのみなさまが、いろんな格好で(演奏を)見ているように、私には見えたんですよね。神様が、こういうふうに見ている、と。人の気配としては感じられなかったですね。
だから、私は(夜神楽の最中、ご神域に)行けなかったんです。演奏中、上に足を踏み入れちゃダメだなと思ったんですよ。ちょっともう、怖いというか、踏み入れられない場所になってしまっていたので」(眞隅田宮司)
日常の中でご神域を守り続けてきた宮司が、その一夜だけは近づけなくなる場所。それは、まさしく本来の意味での「神楽」が実現していたということなのかもしれない。日本文化の最深部を人生をかけて手繰った民俗学者・折口信夫(1887-1953)は、かつて神楽の原義を「神座(かむくら)」──神を招き、その神霊が宿る座を設えた場と論じたが、「夜神楽」ではまさしくそうした場が実現していた、とも言えるだろうか。
「来られた方の中には、涙を流されている方もいらっしゃいました。感性が本当に豊かな方には、ご神体が感じ取れたのかもしれません。何かわからないけれど、ふと涙が出てきてしまう。おそらく、そういう感覚だったのではないかと思います。
配信や録画を見たとしても、写真を見たとしても、そこまでの感覚は誰も得られないと思います。あそこに来られた方は、記憶に残っていて、それがこれからの宝物になる。『あそこにいたからいいことが起きる』とか、そういうことではなくて、本当に記憶に残せる瞬間だったと思っています」(眞隅田宮司)
まだ誰も行き着いていない
からこそ。
しかし誤解してほしくないのだが、これは「見える人にだけ見える」存在として「神様」がいた、というスピリチュアリズムではない。「神様なんか見たことないですから、私」──眞隅田宮司は明るく、屈託ない口調で、このように語る。明確でないこと、それこそが重要である。それはまたこの「夜神楽」の最大の成果の一つでもあると、渡邉もたしかな手応えを感じているという。
「終わった後、観客のみなさんも言っていたのですが、言語化できないんですよ。ただ『何なんだ』と思うだけです。自分たちのDNAなのか、深層心理の部分に、ものすごく共鳴し、呼応する部分があった。その奥にあるものは、私たちが探究していかなければならない、本来の真理だと思うんです。ふだんはそこに行き着かないどころか、手前にすら行かない。でもあの瞬間は、冥丁さんや赤城神社の力によって、その先をイメージすることができた。眞隅田宮司や冥丁さんですら、まだそこがわかってはいない。だからこそ我々も、『あれは何だったんだろう』と自分なりに解釈し、捉えていくことが必要なのではないでしょうか」(渡邉)
誰も答えを持たないからこそ、探究は続いていく。冥丁もまた、夜神楽を出発点として、その先の道のりを見据えている。
「とにかく、水が流れにくい時代になっていると思うんです。自然に身を任せるように湧いてくる純粋な水の流れは、せき止められてしまう。それぞれの持ち場にいる方々とうまく出会えていないということもありますが、みんなが形式的にやりとりをしてしまうので、本質的な思いに向き合ってもらえない。向き合おうとしても、『それはあなたの自由だから』『あなたの個人的な問題だから』と終わらされてしまう。
人間はみな、個人史というものにもとづいて生きています。その人その人の歴史がある。そういうものを汲み取って何かをやろうとすれば、膨大なエネルギーがかかるし、非効率的でしょう。それでも、別の正しさを導き出して、それを選択肢として見えるところに置くということを、この時代にこそやらなければならないのではないかと思うんです。
拝殿の前でみなさんと集まった、あの時間の光景。いま振り返ると、ものすごく印象的でした。あの光景とともに、冥丁の音楽が伴う公演があった。それ自体は、まったく自明ではありません。しかし、みなさんの想いによって開催され、たしかな公共性を帯びた。これは幽微であると言えると思うんです。こういうことが、いまの時代にとって必要なのだということを、強く確信した夜でした」(冥丁)
あの夜集った一人ひとりが、それぞれの個人史を携えて、森の中に立っていた。数え切れないほどの糸が、あの一夜に集い、編み上げられ、「瑪瑙」のように複雑な紋様を成した。冥丁が公演後に綴った言葉が、それを物語っている。
この日、数多に集いし個人史の糸
それらは大いなる歴史の懐に木霊した
それらは夜に向かって伸びた
この瞬間が育む温情に身を委ねた
轟音が鳴り響く古の森で目を閉じた
薫風の夜風に漂う侘しさに魂の拠所を見た